クソがよ〜
ツイッターで性悪を始めて、何度かそれぞれ違うひとに「言語化が上手い」と言われた。
そうなんだ〜、と思った。
ことばが好きだし、知識自体もそれを得ることも好きだし、自分の考えをうまく表現できるとうれしい。
まあ、よく言葉を吟味している自覚はある。
「お前は鍛錬が足りない」
と言われたことがある。
もう一言一句違わずこれ。
高校のときの国語教師、もう名前は覚えていない。
嫌いだったし、これを言われてもっと嫌いになったし。
でもずっと引っかかって抜けないのは、たぶんその通りだから。腑に落ちてしまったから。
うぜーーー!!!わたしの記憶にずっと居座ってんじゃねえ、わたしもずっと覚えてんじゃねえよ。
そのときのわたしは、いまのわたしのそれとは違って甘えて甘んじていたし、やるべきことを何か理由を後付けてはしなかったし、それが課題や予習とかいうことではなく(それらもしないことは多かった)、それらをしないこととは明らかに性質が違うような。
「鍛錬」とはよく言ったものだなと思う。
とはいえこのせいでわたしは鍛錬という言葉を使うことに抵抗がうまれたので全然謝ってほしい。全然許さないし。
言葉を吟味することが必ずしも良いことで必要なことだとは思わない。
むしろそれが裏目に出ることだってしょっちゅうだ。
難しい言葉を使わずに難しいことを伝えられるひとが一番賢いとはよく言うが、わたしはそういうひとは「バランス感覚がいい」のだと思う。
そういう人たちだって、きっと専門家たちが集まる発表会や論文では専門用語を使っている。そのほうがまどろっこしくないし、共通認識があるし、精査されて細分化された言葉を選ぶことは自分の考えとの齟齬を減らす。そもそも専門家たちはそれらを主観において難しい言葉とは思わないし。
「視野が広い」とも思う。
ことばをつかうことにおいて、たぶんそういうひとが本当の意味でことばと友達なんだと思う。
お手玉できるしジャグリングできるしリフティングしてる。
たぶんわたしはまっすぐ転がせてもお手玉はできない。
とはいえ言語化については褒めてくださったのだと思うので、素直に受け取っています。ありがとうございます。
アイツがわたしの本質をみていたとは思わない。
これは負け惜しみとかじゃなくて本当に。
ただの一側面をみて、言って、それがたまたまそのときの自分が気にしていたことで。
いろんな偶然が重なって刺さってなーんか残っちゃってんだよな〜、うぜ〜どっかいけよ〜マジで